2019年7月3日水曜日

叔父とオオバコ

オオバコといっても、若い人たちはすぐにピンとくるものがないかもしれません。しかし、幼い頃、草原や公園で、足元の草の長く伸びた花穂(花茎)を2つに折って相手の花茎と組んで引っ張り合う「相撲」を体験した方も多いでしょう。もしも相手と力一杯引き合った記憶があるのならば、おそらくその花穂がオオバコのものです。「相撲」をとるオオバコの花穂は花期が終わって固くなってきたものがよいので、私もオオバコで相撲をとるときには少しでも太くて固い花茎を求めて野原を探し回ったものです。

祖父母の家は周囲を畑に囲まれており、家の四方には、家と畑を隔てる小径がついていました。その小径に、抜いても抜いても絶えない雑草がオオバコでした。初夏の頃になると、玄関脇から家の裏手まで葉を広げて花穂を伸ばしてきます。人が日頃から踏みつける玄関周辺では、背が低いままで、短い花穂をいじけたように伸ばしながら、短いなりにもしっかりと花を咲かせて種を作ります。玄関から背戸に向かうにつれて、少しずつ長く葉を伸ばします。小径には、人の往来と草引きに耐えて、常にオオバコの姿がありました。

週末ごとに祖父母の家に手伝いに行っていた私も、よく祖母に促されて、雑草引きを手伝いました。祖母は、一方の手でオオバコの葉をつまみ、もう一方の草刈り鎌を根元にこじ入れて、葉を引くと同時に根を断ち切り、リズミカルにオオバコを退治していきます。「ザリッ、ザリッ」というその音を聞きながら、草刈り鎌は子供の手には大きく、なかなかコツがつかめないもどかしい草引きでした。

その祖母の話です。私の叔父がまだ高校生だった頃のことです。やはり草引きは今以上に日常の仕事でした。思春期の男との子に草取りはつまらない仕事です。草引きを手伝うように言われた叔父は、「草は種があるから生えるんや」「種をなくしたら、草は生えん」と言って、草をむしるかわりに、オオバコの花穂をつまみ取ることにしたそうです。花穂を摘み取る方が、腰を曲げて草を引くよりはるかに楽です。叔父は几帳面な人でした。それで、花穂が伸びるたびに摘んで摘んで摘みまくった結果、祖母の草引きとの相乗効果でしょうか、祖母の言うところでは、「それからしばらくの間はオオバコは生えんかった」ということです。

さすがの強雑草も、几帳面かつ合理的な叔父の「地道」な努力に根負けしたのかもしれません。叔父はその性格どおり努力の人で、その後、地方の国立大から国家公務員試験に通り、中央官庁に勤めました。ところが、無事定年を過ぎて、これから人生を謳歌しようというときに、難病を病んで、いまもほぼ寝たきりの不自由な生活を送っています。

私にとっては、転勤の多い叔父で、余り会う機会がなかったのですが、私が中学生のお盆に、珍しく帰省した叔父が、古い箱眼鏡を見つけ出し、錆びたヤスを砥石で研ぐと、大川へふらりと出かけました。しばらくするとヤスで突いた川魚をどっさり捕ってきたのには驚きました。ヤスで川魚を突く漁法は、川に慣れ親しんでいた私でも十分に会得できなかった技でした。それまでの、謹厳実直でちょっと堅物の公務員のイメージしかなかった叔父からは、およそ想像ができない野性味あふれる姿に驚いたのです。

今は不自由な体に閉じ込められている叔父ですが、その記憶と空想の中では、あのふるさとの山野を走り廻り、祖母との草引き、清流の中で魚を追いかけている思い出が、きっと今でも心の中に生き生きとよみがえる時があるのだろうと信じています。

オオバコからの連想で綴った思い出でした。

2019.06.18(京都府立植物園)
見渡す限りのオオバコの群生。若い頃の叔父ならば、やる気満々で花穂を抜いたろうか。








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