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2019年8月5日月曜日

奥永源寺の生きものたち

奥永源寺君ヶ畑地区への道中に遭遇した生きものその他をメモしておきます。

君ヶ畑地区は御池川という、愛知川に注ぐ支流をさかのぼったところにあります。集落をさらに林道に沿って山に入ると、そこは原生林こそないものの、すっぽり苔に覆われた杉林を渓流が流れる『もののけ姫』の世界でした。

ヒグラシです。多数が足元の苔に止まっていて、歩くと足元から次々に飛び立ちました。3時頃から鳴き始めました。

 上掲のヒグラシの反対側にいたザトウムシです。撮影時には気づかず、写真を調べていて気がつきました。英語では、daddy-long-legs(あしながおじさん)と言います。『千と千尋の神隠し』の釜爺(かまじい)に似ているかも。でも釜爺は6本足(4本は腕?)でしたね。これは8本足。体を揺らして、長い足で進行方向を探りながら歩く様子が、座頭が杖で道を探りながら歩く様子と似ているので、この名がついたようです。

川沿いのコナラの木です。巨木が川側に傾いて、根元はびっしりと苔に覆われています。

川沿いの朽ちたフジの太い蔓に生えていました。『もののけ姫』のコダマではありませんが、木の精霊になぞらえても良いかもしれません。正体は変形菌の子実体です。ルリホコリの仲間でしょう。

 杉の木の根元にはベニナギナタタケが生えていました。猛毒のカエンタケかと思い、一瞬身構えましたが、無毒のシロソウメンタケの仲間です。

 御池川には巨岩がうねるように並んでいました。鈴鹿山系から流れる水は石灰岩質のためか、とても清らかで冷たく、また、この先には全く人家がないために、久しぶりに人工的なゴミのない清流を見ることができました。

下流に向かって。

上流に向かって。

白く見える石はほぼすべて石灰岩です。

神社の奥にはクリンソウの植え込みがあり、その周囲の細い溝にオニヤンマが産卵していました。40年余り見なかったように思います。日本に本来あるべき自然が息づいている土地です。

神社の手水舎の水盤に、置物のように止まっていた蛙です。ヤマアカガエルでしょうか。
2019.08.02.撮影
2019.08.04.記述





2019年8月4日日曜日

奥永源寺を訪ねて

万葉集の、額田王と大海人皇子が詠んだ歌にもある、ムラサキの花を見たくて、滋賀県は奥永源寺の君ヶ畑町まで出かけてきました。この一帯はかつては蒲生(がもう)と呼ばれる土地で、上記の二人が遊んだ標野(しめの:御料地)はこのあたりにあったということです。

ムラサキは、生薬としてばかりでなく、その根から紫紺(紫根:紺色がかった暗めの紫色)という染料が取れることから大切にされましたが、栽培がなかなか難しく、近代に至って合成染料が普及すると、急速に栽培地と栽培技術が廃れて、現在は絶滅危惧種の仲間に入っています。

奥永源寺の君ヶ畑町は、「木地師の里」として知られる町で、それにまつわるこの地の由緒はなかなか興味深いものです。他の山村の例に漏れず、過疎が急速に進むこの町を活性化させようと、株式会社組織「みんなの奥永源寺」を設立した方がおられて、現在ムラサキの栽培に取り組んでおられ、紫根を使った化粧品などを開発して販売しておられます。

ちょうど開花時期だということでお邪魔しました。

ムラサキの畑は、大皇器地祖神社(おおきみきぢそじんじゃ)の参道脇の、耕作放棄地を利用して作られていました。ちょうど一斉に開花している最中でした。

直径1cmほどの、花弁が5裂した花で、濃い緑の葉に映えてとても清楚な感じがします。

少し引いた写真です。額田王と大海人皇子が詠んだ紫野はこのような景色が一面に広がっていたのでしょうか。

ムラサキはこの参道の右側に栽培されています。

大皇器地祖神社はこのような山村にありながら、大変立派な神社で、実によく手入れされています。地元の方に訪ねると、毎月1日と16日に神社の清掃奉仕をしているとのことでした。

 神楽殿も大変立派なもので、

四隅の彫り物も匠の技と思えます。


境内の杉の木には幹回り6mを越えるものがあり、天と地を結んでいます。

神社の由緒記です。この地については、白州正子を始めとしていろいろな方が書いておられるので、ググってみてください。
2019.08.02.撮影
2019.08.03.記述



池端で

買い物の帰りに遠回りをして池端の野鳥を見てきました。折からの寒波でこの冬一番の冷え込み。横殴りの風が吹く中の観察です。人の出がないので、日頃は隠れていがちな野鳥の姿を認めることができました。 ヒクイナです。 タシギです。 クイナです。 晴れ間に突然カワウの一群が飛び立ったと思った...