2020年1月1日水曜日

年の初めに:去年今年

謹賀新年

年頭に当たり昨年を振り返り、今年を展望してみたい。

昨年4月から自分の自由になる時間が増え、これまでよりもより頻繁に自然観察に出ることができた。その中でいろいろと学ぶことが多かった。植物・昆虫・鳥類などの名前や生息状況はもちろんだが、それ以外にも学ぶことがあった。

京都を中心に自然観察や環境保全の活動に参加する中で、シニア世代の活躍が特に印象に残った。この世代は戦後まもなく生まれた世代で日本の自然の本来の姿を知る世代と言えよう。小学校や幼稚園、またまちづくりの催しなどでシニアのリーダーたちのお手伝いをする機会もあり、子供たちや若い世代に自然を学ぶ機会を作ることの大切さを強く感じた。

一方で、自然災害の甚大化にともなって、観察のフィールドしている一級河川では洪水対策が最優先で進み、河床の掘削、堤防の補強、樹木の伐採などが、一般市民の意見を聞く前に決定され、環境保全が後手に回り追いつかない状況があった。実際に河川レンジャーとともに国土交通省の説明に立ち会う機会もあったが、工事に着手した後の「アリバイづくり」のヒアリングであり、意味をなさない。自然保護団体が蓄積した経験とデータを生かして当局と協議できる場と時間がほしい。

行政の縦割りも環境保全の障害となっている。一級河川である桂川や木津川は国土交通省の管轄であり、環境省などの手が届かない。また河川の公園部は京都市の管轄、河川の漁業権は漁協にある。希少植物の保全を依頼しようにも草刈りの期日が管轄によって異なる。鳥類の保護を訴えても、現在カワウ対策ということで、見苦しいバルーンやら風車が川の随所に立っている状況で、昨年と比べてカモ類の姿もとても少ない。行政の縦割りと利害関係のために、「生物多様性」を標榜する京都市にありながら、自然環境を総合的に保全するという視点を共有できない。

読み書きは学ばねば身につかない。情報の収集と活用も学ぶ必要がある。これらは「リテラシー」「情報リテラシー」として重要視されるが、「環境リテラシー」という言葉はあまり聞かない(しかし、実は1987年の世界環境会議で提唱されている)。地球温暖化や気候変動が指摘される中で、欧米の若者の活動は活発だが、それに比べて日本の若者たちは動きが鈍いようである。身近に豊かな自然環境があり、その中で幼い頃から学び遊ぶ体験を豊かに持つことが、地球環境の将来を心に描ける人間の育成につながる。日本の若者たちにそれが欠けてはいないか。大人たちがそれを忘れてはいないか。

生態系の保全と人間生活のあり方を考える幅広い世代の人々が増えるように、今後も微力ながら働きかけていきたいと思う。幸いに河川の清掃活動に、地元の大学生たちが参加してくれている。彼らは先の環境フェスティバルにも積極的に参加してくれた。志ある若者たちと共に、地道ではあるが、活動を続けていきたいと思う。


子年だが、Festina lente(ゆっくり急げ)をモットーとして、ゆるりと前進するチョウトンボを今年初めの画像として掲示しておきます。


写真は2019.07.16.撮影



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