京都植物同好会の会長をしておられる(このブログエントリー時点でHPにて確認)田中徹氏の著作に『花の果て、草木の果て: 命をつなぐ植物たち』(淡交社)というものがある。通常、草木関連の一般書というと、鑑賞のための美しさや育て方に焦点を当てたものが多いが、この書は枯れ果てた草木の様子をひたすらモノトーンの写真で綴っている。購入したはずなのだが、今手元に見当たらず、内容を確認できないが、植物観察の適期を捕らえていて、着眼点がなかなかすぐれていると思う。
私自身植物観察を始めてしばらく経つが、昨年樹木の冬芽を覚えようと観察を始めて気づいたことがある。それは植物を安定的に観察できるのは冬しかないということ。寒さの中で草木が眠るようにおとなしくなる冬の時期に、はじめてじっくりと草木のありようを見つめることができる。春などは実にせわしない。昨日の小さな芽が今日はほころび、日々成長して変化する。夏は暑さの中での観察が厳しいし、活躍する虫に気を引かれててしまう、秋は散り急ぐ。冬になってやっと昨日見たものとほぼ同じものが今日も観察できるということになる。
田中氏だったか、あるいは埴沙萠氏だったか、「植物の完成形は種子である」ということを書いておられた。種子の形で植物は完成する。その証拠に種子は最も安定した植物の命の形であって、条件が整っていれば数千年の時を生きる云々とあった。確かに首肯できる主張である。冬の植物は少なくとも数ヶ月の間その形をほぼとどめてくれる。
今年はコロナ禍で秋の紅葉見物も自粛を呼びかけられている。今日入った日本野鳥の会京都支部からの連絡には、明日の鴨川探鳥会は、第3派のコロナウィルス感染拡大と紅葉時期の観光客の増加の予想から、中止にするそうだ。紅葉の季節でも混み合わない場所はいくらでもある。じっくりと自然と対話できる場所を選んでこれからの冬の時期の観察を行うこととしよう。
2020.11.14.記述
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